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大津の歴史

更新日:2014年3月1日

大津市年表

旧石器時代

大津市域では旧石器時代にさかのぼる人々の集落跡は見つかっていませんが、彼らが使っていた道具類はわずかですがのこっています。瀬田の大池(瀬田南大萱町)や田上では、サヌカイト製のナイフ型石器が、また真野・南滋賀・田上里町・瀬田三大寺や瀬田川の川底などからは、1万年前の有茎尖頭器(石槍)が出土しており、狩りで暮らす人々の存在が知れます。

縄文時代

縄文時代の幕開けは、瀬田川河口から始まりました。まず、西岸の石山寺近くに石山貝塚。7~8000年前の、セタシジミを中心としたわが国最大級の淡水産貝塚です。そして、 縄文晩期には、琵琶湖西岸地域にも滋賀里遺跡などがみられるようになりました。それらの遺跡は、瀬田川や琵琶湖で漁をし、背後の山々で狩りや木の実の採集をしていた縄文人の生活をしのばせてくれます。

弥生時代

大津に稲作をもつ弥生文化が伝わったのは、弥生時代前期中頃のことと考えられています。錦織から滋賀里付近に定着し、この地域を中心として発展しました。丘陵裾に錦織遺跡・大伴遺跡・榿木原遺跡などの集落が、また丘陵裾から平野部にかけては、南滋賀遺跡 などで方形周溝墓などの墳墓がつくられ、丘陵頂にも高峯遺跡などののろし台ともいわれる高地性集落が出現しています。

古墳時代

4世紀になると、大津にも地域の首長の大古墳が出現しました。皇子山1号墳、和邇大塚山古墳、膳所茶臼山古墳などです。その後、6世紀後半から7世紀には、小豪族の家族墓とみられる群集墳が琵琶湖西岸地域に集中。ことに坂本から南志賀の群集墳は、ドーム状の天井や炊飯具型土器の副葬などの特色があり、その風習から、朝鮮半島に起源をもつ渡来人の墓と考えられています。

飛鳥・白鳳時代

7世紀代の大津は、短期間ながら大津京に象徴される時代でした。この時代は、また仏教伝来が大津に芽生えた時期でもありました。すでに、大津京以前に衣川廃寺があり、大津京時代には崇福寺などの大寺が建立、前後して田上にも石居廃寺が造立されています。 これらの寺院、ことに大津京の寺院の瓦工房が南志賀の榿木原遺跡で、土器生産工房が瀬田の山ノ神遺跡で発掘されています。

奈良時代

短い大津京時代が終わると、近江は一地方国となり、奈良時代には、瀬田に地方行政を行う国府が置かれていました。この時期、大津ことに田上・大石の山々は、平城京そして東大寺建立の用材を供給する朝廷の杣となりました。多数の材木が瀬田川を下って、はるばる奈良へ運ばれたのです。やがて、淳仁天皇の保良宮造営と共に、積み出し港の石山にも石山寺が建立されることになります。

平安時代

延暦13年(794)桓武天皇が平安京(京都)に遷都すると共に、大津はその外港としてふたたび栄え、唐崎や石山寺が信仰をかねた名所としてにぎわいました。いっぽう、延暦 7年に最澄が比叡山中に開いた寺院は、のちに延暦寺として朝廷から崇敬され、さらに円珍の開いた園城寺が分立し、それぞれ山門(延暦寺)・寺門(園城寺)と称されて、宗教界の大勢力に成長しました。

鎌倉時代

中世は武者の世であり、内乱の時代でした。そのなかで、源平の争乱に勝利した源頼朝 により鎌倉幕府が開かれました。頼朝は石山寺を復興し、多宝塔などを建立しています。 また、山門(延暦寺)と寺門(園城寺)の争いもくり返され、僧兵が活躍しました。いっぽう、有力社寺や貴族・武士等を領主とあおぐ庄園が各地で成立し、神社が地域の精神的きずなとなって発展しました。

室町時代

南北朝内乱に大津の地もまきこまれ、山門(延暦寺)は南朝、寺門(園城寺)は北朝につくなどして戦場となりました。その中で足利尊氏によって室町幕府が開かれ、3代将軍義満のときに南北朝が合一されました。この時代には庶民の力も大きくなり、土倉や馬借 といった金融・運送業者の行動が世を動かすまでになり、また、庶民の旅も観音巡礼といったかたちで盛んとなりました。

安土桃山時代

織田信長や豊臣秀吉は、天下統一の戦いのなかで、大津を重視しました。元亀2年(1571)、信長は、平安京以来の宗教的権威であった山門(延暦寺)を焼き打ちし、山麓の湖岸に坂本城を築いて近江さらには畿内平定の基地としました。また、天下統一を果たした秀吉は、天正14年(1586)頃に大津城を築き、水運を整備して、大津を東国・北国の諸物資の大集散地として発展させました。

江戸時代

慶長5年(1600)の関ヶ原合戦で、徳川家康は天下を取りました。そして、その前哨戦 の大津篭城戦で焼けた大津の町を、幕府直轄の港町・宿場町として復興させました。いっぽう、城は膳所に移して湖南の村々を支配させ、のちに湖西の支配に堅田藩をおきました。 又、秀吉・家康のもとで延暦寺は復興。家康の側近として活躍した天海は、坂本に家康をまつる東照宮を建立しています。

近代

明治維新後、大津は滋賀県の行政の中心として位置づけられ、県庁が置かれました。また、陸軍歩兵第九連隊の駐屯地となり、軍都の性格も加えられました。いっぽう、交通・ 運輸・治水等諸分野で近代化が進められ、汽船の就航や鉄道の敷設、また琵琶湖疏水の開削や瀬田川洗堰の建設などがつぎつぎと実施されました。そのさなかに起こったのが、日本をゆるがした大津事件でした。

現代

大津の現代は、レーヨン工場に象徴される工業都市化に始まりました。しかし、長い戦争は、その発展を一時止めました。そして敗戦。アメリカ占領軍の民主化政策を経て、大津は新しい歩みを始めました。昭和42年(1967)4月の瀬田・堅田両町の合併、 平成18年(2006)3月の旧志賀町との合併を経て、平成21年(2009)4月には中核市へと移行しました。

もっと詳しく知りたい方は、下記の大津市歴史博物館をクリックしてください。
電話番号 077-521-2100

大津市歴史博物館

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〒520-0037 大津市御陵町2-2
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