三橋節子と三井寺

更新日:2023年08月07日

三橋節子は1968年(昭和43年)の結婚を契機に、京都市左京区から大津市長等に移り住みます。居宅は三井寺にほど近い長等公園の傍にあり、琵琶湖が望め、歴史と自然が感じられる静かな居住環境でした。節子は地元の名刹、三井寺ゆかりの絵画を制作しており、次の4作品を紹介します。

千団子さん 

三井寺境内の護法善神堂周辺で、子供の守り神である鬼子母神の祭礼「千団子祭」が毎年5月中頃に催され、子どもたちの健やかな成長を願う人々で賑わいます。

絵には、金魚すくいにヒヨコ、カメ、植木などの露店や見世物小屋が並ぶ様子が描かれ、子供たちにはワクワクする楽しみなお祭りでした。千団子とは、千人の子供を持つ鬼子母に由来し、子供の供養のため、祭礼に千個の団子が鬼子母神に供えられます。

「千団子さん」1972年(昭和47年)7月

「千団子さん」1972年(昭和47年)7月

「護法善神立像」

「護法善神立像」

鬼子母 

鬼子母はインドの悪神である夜叉神の娘です。絵には、ザクロの木を背に鬼子母が恐ろしい形相で人間の子供を次々に抱え食す場面が描かれています。鬼子母は後に釈迦に諭されて懺悔し、改心して子供を守る柔和な鬼子母神になります。三井寺では護法善神として鬼子母神が祀られています。

「鬼子母」1972年(昭和47年)12月

「鬼子母」1972年(昭和47年)12月

「護法善神堂」

「護法善神堂」

菩提樹 

当館近くの近松寺は三井寺の別所で、その向かい側に大きな菩提樹があり、6月には黄色の小さな花が鈴なりに咲き、冬には丸い小さな実が葉とともに散り散りに落下していきます。

絵に描かれているのは、花を付けた菩提樹の枝をもらって帰り、花瓶に挿したもので、静物画です。節子が右腕切断手術から3か月後に退院して自宅に戻ったときに菩提樹が開花しており、この絵は節子が左手に絵筆を持ち替えて描いた最初の作品です。

「菩提樹」1973年(昭和48年)6月

「菩提樹」1973年(昭和48年)6月

「近松寺」

「近松寺」

三井の晩鐘 

三井の晩鐘は近江八景の一つで、梵鐘の荘厳な音色は音の三井寺として知られ、鐘楼は本堂である金堂の横にあります。

絵に描かれているのは、どっしりとした梵鐘と、その横に静かに立ちつくす目玉を持った龍神の化身である娘と、娘の身体にまとわりつく目を失った龍、そして与えられた目玉をしゃぶる子供で、奥には深淵な琵琶湖が見えます。近江昔話に伝わる悲話を元に、余命いくばくもない節子自身の境遇を重ねて表した絵で、菩提樹の制作からさらに3か月後に出品した百号の大作です。

「三井の晩鐘」1973年(昭和48年)9月

「三井の晩鐘」1973年(昭和48年)9月

「三井寺の梵鐘」(日本三銘鐘)

「三井寺の梵鐘」(日本三銘鐘)

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