小松大悟選手(ウィンドサーフィン)
大津市在住、出身など、大津市にゆかりがあるアスリートをご紹介します!
今回は、「2024年ウィンドサーフィンテクノクラス世界選手権」において、日本代表団のコーチを務める傍らで選手としても出走し、最上位のOver19クラスで3位入賞という素晴らしい成績を残された小松大悟選手にお話を伺いました。
インタビュー
市スポーツ課(以下、市):ウィンドサーフィンを始めたきっかけを教えてください。
小松大悟選手(以下、小松):高校の頃にヨット部に入り、柳が崎ヨットハーバーでヨットに乗り始めたのがきっかけです。ヨットの練習中にすぐ横で同じセーリング競技であるウィンドサーフィンが走っているのに出会ったことがあったのですが、ヨットに比べてウィンドサーフィンって、すごくスピードが速いんです。ヨットにはヨットの良さがあるのですが、その横で速いスピードで走っているウィンドサーフィンを見て、すごくかっこいいなと思ったんです。それで大学生になってから、ウィンドサーフィンを始めました。
市:幼少期や小学生の時は何か他に競技をされていましたか?
小松:大津市内の小中学校に通っていたのですが、小学校時代はスポーツ少年団で野球をやり、その後中学校では3年間バドミントン部に入っていました。野球部もバドミントン部もすごく走るのですが、特にバドミントン部は、陸上部よりも走っていると揶揄されるような部活で、その時に体力がすごくついたんです。
市:小学校や中学校での経験が今の強みに繋がっているんでしょうか?
小松:はい、ウィンドサーフィンってヨットに比べると運動量が激しいので、フィジカルがすごく重要になってきます。ヨットは漕いだら駄目なんですけど、ウィンドサーフィンは漕がないと駄目なんです。どっちもセイルっていって、風をはらむ帆があって、ヨットはロープを介してセイルを操作する。ウィンドサーフィンは直接セイルを持って操作するんです。
市:ウィンドサーフィンの方が体力を使うんですね。
小松:そうなんです。ルールの違いですけど、ヨットは多くの艇種が漕いだらダメなルールなので、風を読んでどう戦略的に使うかという頭脳メインのスポーツなんですよね。逆にウィンドサーフィンはセイルやボードを動かして漕ぐことに対してのルール制限がない分、ヨットと同じ風を読むことが本質であるセーリング種目であることを忘れて結構体力任せに戦ってしまう人が学生レベルだと特にすごく多いです。
市:そうすると、小学校・中学校で培った体力と高校でやってきたヨットでの風をよむという頭脳が小松さんのウィンドサーフィンの強みにつながっているんですね。
小松:はい。たまたまなんですけど、今までやってきた色々な競技が結果的に組み合わさって、他の選手に比べてすごい強みになっているように思います。
市:ウィンドサーフィンはテクノやテクノプラスといった艇種がありますが、小松さんの場合はテクノから始めたんですか?
小松:そうです。大学生の頃はテクノでした。ただ、大学生の年齢までテクノを使っているのは日本だけなんです。
市:でも、国際大会に出場となると大学生もテクノプラスですよね?道具が違ってくるとやっぱり難しいですよね?
小松:はい、一気にパワーが増えるので扱いとしてはすごく難しくなります。
市:日本代表のコーチとして国際大会に行かれた際、艇種の違いにより苦労されたことや、こうだったらもっとよかったのにみたいことはありましたか?
小松:そうですね、一昨年から日本代表コーチを務めているのですが、現地で初めてテクノプラスに順応しないといけない大学生達を見ていると、新しいものにパッと慣れることができる子とできない子がいます。すぐに順応できる子っていうのは、やはり今までいろんなことをやってきた子が多いなっていうのは感じています。あとは、やはり日本で大学生が世界基準では中学生までの艇種であるテクノを使うのは、世界大会での適応課題や国内戦でも体格の良い選手が体重ゆえに苦労しているのを見るとこれでいいのかなっていう疑問は持ちますね。
市:選手とコーチを両立するための、コツなどありますか?
小松:そこは完全にできているかと言われると、実際難しいです。ただ、コーチをするとなると新しい艇種に合わせて乗る子たちに、道具が大きいからこういうところが大事だとか教えたりしています。人に教えるために言語化をするというのは、自分の中で、改めてその技術というのを確固たるものにするという作業になると思うんです。だから、その面においては自分の技術の定着にもなっていると思います。
市:お仕事もされている中で、仕事と競技の練習の両立はどうですか?
小松:コーチと選手の両立は正直言うと、同じウィンドサーフィンの中での立ち振る舞いの違いなので、正直何とでもなるんです。けれど、やっぱり仕事とアスリートとの両立というのは、ようやく10年やってきて何とか形になってきましたが、もう本当に大変でした。本来のアスリートなら、やっぱり自分の年齢になってくると、どんどん出てくる若い選手達に立ち向かうために、毎日海に出てトレーニングをしている。それを仕事とアスリートと二つを組み合わせる生活というのがなりゆかない時が最初の3年ほどあり、いろんな工夫をしました。例えば、家と職場の往復の時間がもったいないので、できるだけ仕事はリモートになるような形にして、数日家に帰らず、会社にも行かず、キャンピングカーを買って、浜で生活するんです。リモートで会議に出席しながら、一番風のいいときだけ海に入るという生活。ちょっとでも無駄な時間をなくして、海に入るか、仕事をしているか、どっちかの時間しかないっていうふうにすれば、なんとかなるような、ならないような感じ(笑)
市:大変だと思うのですけれど、頑張るための原動力になっているものなどありますか?
小松:アスリートってそもそも原動力は見つけやすいので自分が頑張ることは比較的簡単なんですけど、今自分がこんな形でやって行けているのは自分の原動力の大きさ以上に周りの人の理解だと思います。自分の強みというのは、まず一番は奥さんの理解ですね。2週間位は家に帰らない時もあるので、普通の家庭だったらとっくの昔に崩壊しているかもしれないくらいです。あとは、職場ですね。風が吹けば会社を休んだり、大会で数週間いなくなったり、プライベートがこれほどまでに仕事に影響するというのは、理解されないと思ったんです。だから、F1の仕事を始めるときには覚悟を決めて、「ウィンドサーフィンも全部足洗って、仕事に全投入するつもりで来ました」と上司に言ったのですけど、その時上司に言われた衝撃の一言が「ウィンドサーフィンやめるなら、F1もやめろ」って。(笑) HONDAってすごく夢を、大事にしているんです。HONDAという文字の下に、The Power Of Dreamsって書いてあって、「夢を原動力に」をキャッチフレーズにした会社で、社員の夢をプライベートであってもすごく大事にしてくれる。「君だから、ウィンドサーフィンの夢とHONDAでの夢を両方追いかけられるんでしょ。F1だけ頑張っている人なんて幾らでもいるけど、両方やるから君なんでしょ」って。
市:理解のある家庭と職場が小松さんの原動力となっているんですね!今年は世界大会がイギリスであると思いますが、どれくらい前から現地に入るのですか?
小松:七月後半ですね。できるだけ会社を休むことを最小限にするために、基本は日本で調整して、大会の1、2週間前くらいに行きます。それくらいあれば時差だけは無くすことができるので、現地の環境に慣れ切ることは難しいですけど、1週間でコンディションを整えます。
市:毎日続けているトレーニングはありますか?
小松:出社の前後にジムに行くことが多いです。ウエイトトレーニングとあとローイングの機械をしています。
市:エルゴメーターみたいなものですか?
小松:そうです。動きとしてすごくいいですね。ローイングの動きは、ウィンドサーフィンと似ているところがあります。
市:海の上でのトレーニングは、どういったものがありますか?
小松:ウィンドサーフィンは、速く漕ぐことが大事ではあるのですけれどスピードメーターがついていないので、誰かと一緒に走るというのがやっぱり一番のトレーニングですね。
市:ウィンドサーフィンで、怪我をされたことはありますか?
小松:多分怪我は比較的少ないスポーツかなと思っています。大きな怪我というと、そんなに無いのですが、一番心に残っている怪我は大学生の時でしたね。日本代表に選ばれる大会で暫定1位だったんで油断しちゃったのもあって、一瞬の気の緩みで突っ込んで手を骨折してしまったんですよ。でも、日本代表にどうしてもなりたかったので、病院に行って、気休め程度の痛み止めを打ってもらって、最終レースに出場したんです。ワンアクションするごとに骨が1本ずつパンパンってはじけていくのが手の中で感じるのですよ。自分の骨がパキンパキンとまた割れた、また割れたって…。一応日本代表にはなれて、あの時頑張ったなと思います。
市:忘れられない思い出ですね。
小松:そうですね。最終レースを走り切りで優勝して、そして日本代表になって、その大会は一番思い出深い大会です。
市:ウィンドサーフィンをやってきて一番よかったことはなんですか?
小松:広い世界を見れたことですかね。柳が崎ヨットハーバーで最初ヨットに乗った時には、想像もしなかったような世界。10年間世界大会に出ることができて、毎年色々な国に行って世界のトップレベルの選手と競ったり、友達にもなったり、セーリングって狭い世界ではあるのですけれど、その中で世界一というのを見ることができたことですね。
市:なかなかできないですよね。
小松:どんな世界でも世界トップレベルってあって、(普通は)想像するしかないと思うんですが、自分がそこの舞台で戦えたというのは大きな経験で、すごく自信になりましたね。F1の仕事をするってなった時、最初すごくプレッシャーというか、恐怖を感じました。世界中の一流企業が、命懸けて速いマシンを作って、それと自分が太刀打ちしないとだめって思うと、こんな大学卒業したての自分に何ができるんだろうと怖さみたいなものを感じました。その時に、全然関係ないはずなんですが、何か根拠のない自信といいますか、1度ウィンドサーフィンで世界トップの選手たちと戦えたから、戦う世界が変わっただけで、同じような肌感で戦えばいい、向こうで戦ってるのはこんな顔したこういう人たちなんだ、自分と同じ人間だし、別に化け物がいるわけでもないし、同じような人間が同じような頑張り方で同じように苦しみながら、結局自分みたいなのがいっぱいいるだけなんだなっていうのがわかってるから、仕事でも物怖じしなくなりました。
市:ウィンドサーフィンをやってきてうれしかったことはありますか?
小松:娘に世界を見せることができたことですね。家族にこれだけ負担をかけている以上、自分にしか見ることができない世界を、娘たちにも見せてあげたいというふうに思って。上の娘が3歳ぐらいのときにポルトガル大会で優勝して、その子を肩車して表彰台上ったんです。その後に、2人目が生まれて、上の子と下の子に何か不公平があってはならんと、父親としては思ったんですよ。何とか、下の子を表彰台に連れて行きたいっていう思いでここ数年間ずっと頑張って、毎年表彰台にぎりぎり上れない年が続いたんですが、去年ようやく何とか3位ですけれどまた表彰台に上れたんです。
市:去年お子さんを肩車して表彰台にあがられていましたが、下のお子さんだったんですね。お子さんは何かスポーツをされておられますか?
小松:ウィンドサーフィンやらせないの?ってよく言われるのですけど。先ほどもお話ししたように、小さいころから一つのことをやることだけが正じゃないなっていうのを自分は感じていて、小さい頃から好きなことを興味のおもむくままにのびのびとやっていたおかげで、今ものびのびできているというのもあって、子どもが何か興味のひく世界の入口までは全力で連れていって、できるようになるまではやらせて、その後は無理強いせずにと思っています。その代わり、冬だとスノーボード、夏はサーフィンとか水泳、あと、ボルダリングもよく連れて行きますね。汎用性の高いもので、動きがいいなと思うものとか、そもそも横に行って教えてあげたいので、自分の好きなスポーツにはなってしまうんですけどね。
市:やっぱり、好きっていうことが大切ですよね。
小松:そうですね、冬の時期って大会が少ないので海から一瞬離れてゴールデンウィーク明けぐらいから大会が始まるので、その前からまた練習をし始めるのですけれど、ひと冬超えて春の暖かい風でスピードを出して、琵琶湖で乗ると、いつも毎回涙出そうになるんですよね。風を受けてかっとびながら、これ以上ないっていうぐらい、今自分にやにや顔してるんだろうな…って。やっぱりウィンドサーフィンが好きなんです。
市:最後に、今後の目標を聞かせていただいてもいいですか?
小松:今、競技人生で初めて本当に目標がないんです。どう考えても、現役選手引退してコーチなどに転身して育成などに回るべきタイミングはずいぶん前から迎えているのですけれど、それでも選手として続けてきたっていうのはやっぱり2人目の子どもを肩車して表彰台に上がりたいというのがあったからなんです。ただ、気になるのは、今年の滋賀国スポですね。 国スポの艇種っていうのが、自分の世界で戦っているテクノとは違う、日本独自のレギュレーションの変わった船なんですね。日本はそればっかりやっている選手が多い中で、自分はそれに慣らさないといけない、それだけでもチャレンジなんです。栃木国体のときに、その苦しさと1年間闘いながら何とか3位、開催県の代表選手としては、本来優勝を求められるところだったので、許容範囲ギリギリだったんです。そこで滋賀国スポが延期になって、こっちに転勤で来て、予選出てほしいと言われて…。同期でずっとライバルだった選手も国スポの強化選手でいる中で、お互い変なプレッシャーがあるんです。だけど、こうして悩んでるのは、やっぱりここがホームだから、自分がこれだけ広い世界を見ることができた出発地点だし、そこで、今回、国スポが開催されて、出場することができたら、間違いなくこれがラストレースですね。今年1年、滋賀代表でちゃんと結果を出して、選手人生に切りをつけたいなっていうのが今の目標になるのかもしれませんね。
貴重なお時間をいただきありがとうございました。
二児の父親、カーエンジニア、そして世界で戦うアスリートと3つの顔を持つ小松さん。一筋縄ではいかない努力とただならぬ覚悟、そして心からセーリングを愛していることが伝わってきました。
夏に行われるイタリア大会や滋賀国スポでの活躍を期待しております!
(この記事は、令和7年1月時点のインタビューを基にしております。)
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更新日:2025年04月11日