市長記者会見(令和7年6月20日)
- 日時 令和7年6月20日(金曜)
- 場所 大津市役所 新館2階 災害対策本部室
市長説明
市長 皆さん、こんにちは。お忙しい中、記者会見にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。
本日は、坂本城跡に関してご報告をいたします。
本日、国の文化審議会におきまして、坂本城跡の国史跡指定について答申がなされることとなりました。今後、官報告示を経て秋頃に正式に国史跡として指定される予定であります。指定されますと、本市におきましては16件目の国指定史跡となりますが、城郭での指定は初めてであります。史跡指定に向けましてお力添えを賜りました全ての皆様に心から感謝を申し上げます。
先日、琵琶湖疏水の国宝・重要文化財指定への答申がなされたところでありますが、より一層多くの方に大津の持つ歴史の厚みや奥深さを実感していただけるものと考えております。
坂本城は、ご承知のように明智光秀により築城されたものの、約15年しか存続しなかった城郭であります。絵図もなく、その痕跡もほとんど残っていないことから、長年、幻の城と呼ばれてまいりました。
初めに、本市がこれまでに行いました坂本城跡の調査と国史跡指定に向けた取組を改めてご説明いたします。
坂本城跡調査の始まりは、昭和54年度に実施された発掘調査です。このときは本丸内にある屋敷跡が確認されるとともに、大量の瓦などが出土いたしました。瓦については、近年の科学的調査におきまして、赤褐色系のものと黒褐色系のものの2種類あることが判明しておりまして、赤い瓦に彩られた華やかな城だった可能性が浮上してきております。

次が令和5年度に実施いたしました宅地造成工事に伴う発掘調査となります。三の丸のものと見られる長さ30メートル以上の石垣や堀が確認され、令和6年2月に開催いたしました現地説明会には、全国各地から2日間で2,000人以上の方が参加するなど注目を集めました。
これを受けまして本市では、発見された遺構の歴史的な価値に鑑み、保存について開発事業者と協議を重ね、宅地造成工事の中止を決断いただくに至るとともに、令和6年3月に国史跡指定を目指す覚書を締結しております。また、その後実施した調査では、堀の反対側でも石垣が発見され、堀幅が約9メートルであることが確認できました。これらの調査成果をまとめ、令和7年2月に滋賀県を通じて文部科学大臣への意見具申を行ったところであります。
意見具申に当たりましては、先程述べた昭和54年度と令和5年度の発掘調査の成果を示しており、特に三の丸の堀が確認されたことによって、一部ではありますが、坂本城の西端を明確にできたこと、現在どちらの遺構も地下に保存されていることを踏まえて、後世に残すべき貴重な文化財であることを強調しております。
次に、坂本城跡が国史跡として認められた価値について、文化庁の資料を基にご説明させていただきます。
日本の城郭は、織田信長の台頭を機に大きく変革すると言われています。その一例が信長以前は山に築かれた土づくりの城郭が多数であるのに対して、信長の時代からは、平地に築かれた石造りの城郭が発生するそうです。坂本城はこの平地に築かれた石造りの城郭においても最初期のものの一つであり、文化庁の資料で織豊系城郭の立地や構造、築城技術等を知ることができるとされているように、日本の城郭の変遷の実態を知る上で重要なものと位置付けられました。その他、坂本城が築城された意図や歴史的な背景も固有の価値として認められたものです。
坂本城が築かれた場所は、焼き討ち後の比叡山を監視するのに適しているだけではなく、琵琶湖の舟運の拠点でありました。三の丸においても、舟入と考えられる遺構が確認されていることから、城が琵琶湖とつながり、船が往来していたと推測され、京への流通拠点に築かれた坂本城は、軍事的な性格のみならず、政治的・経済的にも重要な城郭であるとされました。
本市では、発見された三の丸の遺構を基に、改めて坂本城の範囲、いわゆる縄張の検討を行った結果、現時点では坂本城の縄張は南北約450メートル、東西は最も広い部分で約400メートルの規模であったと想定しております。
なお、国史跡に指定される場所は、スライドの赤枠の範囲、昭和54年度に本丸の遺構が確認されている地点と令和5年度に発掘調査した地点であります。
最後に、今後の取組についてであります。
まずは、坂本城跡の価値や魅力を広く発信する取組についてです。お手元にも既に広報おおつをお配りさせていただいているところでもありますけれども、大津市歴史博物館において、明日6月21日から8月31日までの期間、発掘調査の際の写真や遺物などを展示する記念パネル展を開催いたします。
また現在、令和5年度の発掘調査において出土した木簡や櫂状木製品など、数十点の木製品の保存処理を行っておりますが、今後、安定した段階において何らかの形で公開したいと考えています。あわせまして、坂本城跡の調査成果などを記載したリーフレットも作成しているところであります。
一方で、坂本城につきましては、陸上だけではなく、京都橘大学の南准教授の基礎的な調査でも明らかなように、琵琶湖に遺跡がある可能性を秘めていることから、改めて滋賀県に対し、水中遺跡の調査や湖中石垣の保存について要望することを検討しております。本市といたしましては、まずは令和5年度に発掘調査した土地の公有化に向けて、国の支援を模索しながら協議を始めてまいります。
まずは、私からは以上です。
質疑応答
京都新聞 最後に触れられた公有化とその後の保存活用の部分で、言える範囲ということになると思うのですが、現状、いわゆる保護のためもあって、一定土を被せている、いわゆる地中保存といいますか、こういう段階に戻っているかと思うんですが、今後、例えばあれを見える形にしていくかどうかというところについては、今のところどういうお考えか、お聞かせいただいてもよろしいでしょうか。
市長 まずは、先程申し上げたように、令和5年度に発掘調査した土地については、公有化に向けて協議を始めていきたいと考えております。その後でありますけれども、大津市総合計画第3期実行計画におきましても、坂本城跡を生かした歴史まちづくりプロジェクトを重点プロジェクトに位置付けております。
今後、具体的には専門家による検討会議を立ち上げ、保存活用計画の策定に取り組むこととする予定です。ただ時期についてはまだ不確定です。
京都新聞 となると、今はいわゆる地中保存なので、仮に来てもらっても直接は見えないという状態かと思うんですが、それをいわゆる見える化じゃないですけれども、見える化するかどうかということについても、現状は未定であるのか、それとも基本的に前向きと考えていいですか。
市長 あくまで保存活用計画の策定においては、やはり専門家による検討が必要だと思っておりますので、専門的知見を持つ専門家の皆さんの検討を踏まえて判断していくことだと思っています。
京都新聞 先程の公有化の話につながってくるかと思うんですが、開発業者さんが早い段階で開発を中止するということを決めてくれはったりとか、恐らく公有化についても前向きな姿勢を示していただいているというところは非常に大きいかと思うんですが、改めてその民間事業者さんに対しても何かメッセージといいますか、感謝といいますか、市長としてコメントいただければと思うんですが、いかがでしょうか。
市長 正直、今回の感想なんですけれども、史跡指定の答申がなされたことを大変喜ばしく思うと同時に、坂本城跡という貴重な文化財を私たちの世代の責任においてしっかりと後世に残す礎ができたことをホッとしています。このホッとできているその最大の要因は、やはりこの開発事業者の皆さんにご英断いただき、今回のこの国の史跡指定に向けた取組にご協力いただいたことにあろうかと思います。改めてお力添えをいただいた全ての皆さんに感謝申し上げたいと思います。
毎日新聞 見つかってからこの協定、覚書の締結に至るまでの市長のご判断が非常にスピーディだったと思います。これがきっかけだと思うんですけれども、今おっしゃった礎、後世に寄っていくための礎ができたというそのときの気持ち、これはせなあかんみたいな感じのことをもう一度お話しいただきたいということが一つと、もう一つが、このエリアが非常に歴史の古代・中世も含めて、この戦国時代がある歴史プラス、今は新しい住宅地ができているという、今の大津の課題も見えるという何とも言えないエリアだということを今回確認しまして、この難しさをどうやっていくかいうことをお話しいただけますでしょうか。
市長 これも先程の繰り返しになりますけれども、まずはその当時を思い返しても、この坂本城は幻の城と呼ばれてきました。この間も、今の質問にも重なるところがありますが、この周辺で宅地開発は数多行われています。それに伴って発掘調査をしているわけですけれども、これまで遺構は全く見つかっておりません。ゆえに、今回この三の丸と見られる堀・石垣が見つかったことは、本当に我々にとっても想定外の出来事でありました。

その中でこの貴重な坂本城跡の遺構を必ず後世に残していかなければいけないという思いで、まずはこの開発について何とか宅地造成工事を中止してほしいということで、私自身も事業者の方にお願いをし、最終的には中止をご英断いただくこととなりました。
本当にこのことについては、改めて事業者の皆様に感謝を申し上げたいと思いますし、そのときに手をこまねくことなくしっかりと事業者の皆様と協議ができたことが今日につながっているんだと思います。
周辺の状況については、先程も申し上げましたが、この周辺は、数多の宅地造成・開発に伴って発掘調査をやっているんですけれども、実は全く今までは見つかっておりませんでした。心配する状況というよりは、どこで何があるのかという、ドキドキしています。
時事通信社 先程、市長が専門家による会議の立ち上げというところの話に触れられたかと思うんですけれども、今想定している中でどれぐらいの数・構成・人数であったり、構成メンバーで進めていきたいか、想定の範囲で考えていらっしゃったらお願いします。
市長 皆さんが先走ってご質問するのは分かりますけれども、今日はあくまで文化審議会から国史跡の指定がなされるということが答申されると。冒頭申し上げたように秋頃ではありますけれども、官報告示を経て正式に国の史跡指定となります。
今の段階で、保存活用計画についてつまびらかに言及することは時期尚早だと思いますが、まずは市民の皆さんをはじめ多くの皆さんにこの坂本城の価値、また歴史的な意義を広く知っていただく取組をこの後重ねていきたいと考えております。
時事通信社 ありがとうございます。その中に先程紹介いただいたパネル展があるんですね。分かりました。
産経新聞 まだ石垣は今も埋められた状態なんですよね。それが誰でもいつでも見られるようになるというところはまだ未定という段階と理解しましたけれども、となると今の段階ではまだ幻の坂本城になるわけなんですか。

市長 先程も冒頭申し上げたように、昭和54年に実施された調査によっても、本丸内にある屋敷跡、これはもちろん建物礎石ですので見られませんが、一方で大量の瓦なども出土しています。こういった瓦があること自体ご存じない方もまだたくさんいらっしゃるので、まずは今、何をお示しできるのかというところで、坂本城の価値、歴史的な意義を広く知っていただく取組に当たっていきたいと思います。
産経新聞 幻の坂本城の定義というのは、要は異常渇水のときだけ遺構が出てくると。それ以外は、発掘はされたけれども、埋め戻されて遺構が常時見られる状態じゃないので、だから今ももちろん坂本城と言えているのでしょうか。
市長 冒頭も幻の城と呼ばれていると表現しましたけれども、何をもって幻の城と呼ぶかはそれぞれの主観だと思います。
産経新聞 さっき毎日新聞さんの質問で、よく聞かれたと思ったんですけれども、要は坂本城だけではなくて、あの辺りというのは穴太なんですね。毎年のようにすごい発見が出て、一方で宅地開発がものすごく進んでいると。となると、ある程度すごいものが出てくるということが予測できる状況に今あると思うので、その坂本城だけではなく、あの辺一帯の今後の在り方というか、そういうことも今後の広いエリアの保存活用計画みたいなものを、今後策定していく必要があるのかどうかというところだと思うんですが、いかがでしょうか。
市長 様々な時代の遺跡が発見されていますので、一概にそれをまとめて保存活用計画に盛り込むということは、これも専門家の皆さんの議論に委ねるところもありますが、中々難しいと思っています。一方で、例えば西教寺であれば坂本城のゆかりのものがあったり、また明智光秀公ゆかりの寺ということになっていたり、我々が目にすることができる歴史文化遺産も坂本城と関連付けることはできると思っていますので、そういった視点でこれから保存活用計画の議論を進めていっていただければとは個人的には思っています。
中日新聞 市民の皆さんにも知っていただくための取組として、歴史博物館の展示とかをやるという話があったと思いますが、市民の方だけじゃなくて、坂本城は市外の人もとても関心がある城だというふうに思いますので、例えば大規模なフォーラムをするとか、広く発信していくような取組で、何か考えていらっしゃることがあれば教えてください。
市長 大変重要なご指摘だと思います。まずは「光る君へ」の取組のときにも申し上げましたけれども、やはりこの大津の豊かな歴史文化は市民の皆さんもまだまだご存じないところがあるので、それを踏まえて市民の皆さんにも広く知っていただきたいということを申し上げましたが、もちろん市外、全国の皆さんに坂本城の価値、歴史的な意義を知っていただくことは大変有意義だと思っていますので、どういった形になるか分かりませんけれども、今後、そういうことを念頭に置いた取組も検討したいと考えています。
びわ湖放送 琵琶湖疏水の国宝もあり、そして今回の坂本城跡の国史跡指定ということで、かなり今、大津市というのは非常に熱いというか、ホットな場所なのかなと思っているんですけれども、市長のコメントの中に歴史まちづくりを推進していくという言葉がありますけれども、これもちょっと先走ったご質問かもしれませんが、どういうふうに大津市をしていきたいかという、要はこの歴史まちづくりという市長が描いておられる中でまだまだ道半ばなのか、それともどんどんPRしていくというような形なのか、今の市長の歴史まちづくりのイメージを教えていただけますでしょうか。
市長 既に歴史的風致維持向上計画の国の認定を受けております。これにおいては12の歴史的風致を中心にそれぞれの地域の魅力の磨き上げをしていこうと考えていますが、その中で重点地域として、今、堅田、坂本そして大津百町の取組に力を注いでいるところでもありますし、またこれ以外にも、広報おおつをご覧いただいたら分かりますように、数多の歴史文化遺産、国指定の文化財の数で言えば全国の市町村で第3位の大津市でありますので、こういったものをしっかりと生かしていく取組をこれからも重ねていきたいと考えております。
びわ湖放送 先程ホッとしたというお話があったと思いますけれども、本当に色々な方のご協力と、あとは奇跡的な発見があったということで、今回の国史跡指定を受けているということだと思いますが、改めてホッとしたという言葉、それから次のステップへと考えた場合の意気込みという言い方はおかしいんですけれども、市長の思いみたいなものを改めて聞かせていただけますでしょうか。
市長 まず、自分が市長を務めている間に坂本城跡において発見がされたことは、本当にある意味でタイミングではありますけれども、これを、今を生きる者としてしっかりと後世に残していかなければいけないというのは使命だと思っています。この使命を果たすべく、本当に誠意を尽くしてお願いをし、事業者の方のご協力をいただき、今回、国史跡指定に向けた取組にご協力をいただけたことは、本当にホッとしたと同時に、そういった大きなお力をいただいたことを改めて感謝申し上げますし、大津市民憲章の中で「豊かな文化財を守りましょう」ということを本当に大事にしてきた先人の皆さんにも感謝したいと思います。
共同通信 今回の三の丸の想定範囲が分かったということですが、範囲が分かったから、範囲内の別の場所をこれからも捜索していくということもありますか。
市長 人の土地を勝手に掘ることはできませんし、掘るタイミングというものがありますので、まずはこの間も続けているように、開発に伴う調査というものは、これからも出てくる可能性があると思っています。一方で本丸跡については、昭和54年の調査以降、発掘をしておりませんので、これについては将来的に発掘調査になる可能性もあると考えております。
産経新聞 以前に伺ったことがあるとは思うんですが、市長が三王不動産流通さんに保存したいというような強い意向を示されたのはどのタイミングでしたか。
市長 令和6年1月です。
産経新聞 1月ということは、発表前ということですね。
市長 はい。令和6年1月に何があったかを振り返りますと、大津市長選挙がありまして、全くそこに至らず、大津市長選挙が終わってすぐに現地へ赴いて、視察しました。その後でありますので、ちょっと記憶が定かではありませんけれども、1月の末か2月の初旬かどちらかだと思います。
産経新聞 そのときに電話をされたんでしたか。
市長 たまたま面会をしました。
産経新聞 面会も。直に社長に。
市長 あるところで一緒になりました。
産経新聞 あるところで一緒になって、その際に何をおっしゃったんですか。
市長 記憶は定かではありませんけれども、協力してほしいということを申し上げました。
産経新聞 保存に向けてですね。予期せぬものが発掘調査でも出てきて、それを保存できるかどうかというのはすごく全国的な課題だと思うんですけれども、こういう事例というのは、どのぐらい珍しいかというのは何か把握されていますか。
市長 珍しいかどうかは分かりませんが、先程の資料の中にもありましたけれども、今回のこの取組、三王不動産流通様と私どもが表彰していただきました。やはり珍しいから表彰していただけたのかなという思いであります。公益財団法人日本城郭協会と本当に全国の城郭について保存活用に取り組んでいる団体から審査員特別表彰ということで、令和6年6月に表彰していただいたということは、城郭に携わる皆さんにとっても価値があるということで表彰していただいたんではないかと思います。
産経新聞 そのあたりの価値がイマイチで、位置付けるには中々ちょっと曖昧なところがあるので。
市長 評価は後世がすることですし、今、我々が自ら評価することではなく、まずは、我々は国史跡指定を目指すということで、事業者の皆さんとの信頼関係の中で今まで取り組んできたということでありますので、これからは保存活用にしっかり取り組むことによって、そのご恩返しをしていくということであろうと思います。
産経新聞 3,000平方メートルは、要するにそれが全体なんですよね、今回の開発計画で。それを丸ごと100%中止したということなんですよね。
市長 はい。3,000平方メートル全てを中止しました。
産経新聞 その代わりに、別の場所にということではなく。これはかなり珍しいケースだなと思います。
京都新聞 今のお話しに関連してですが、その事業者さんの協力があったということを踏まえましても、意見具申から実際の答申まで、意見具申に至るまでも含めてですけれども、非常にスピーディというか、大体こういうケースは色んな方と調整して、10年かかる、5年かかるみたいなケースも我々はよく聞くんですけれども、今回これだけのスピードでいけたことについての改めての思いと、そこに至って、市長さんなりに一番大きかったと思うところということを教えていただいてよろしいですか。
市長 まずは関係してくださった皆さんに大きなお力をいただいたことが第一であろうと思いますが、やはり本市文化財保護課をはじめ、職員の熱意というのも、このスピード感につながったのであろうと思います。
京都新聞 文化庁は当然調査の順番待ちみたいな部分もあって、要するに色んな自治体から「うちのところも見てくれ」「あそこも見てくれ」みたいな声がある中で、ある意味、調査自体かなりスピーディにやっていただいたかと思うんですけれども、そのあたり市として、先程も職員さんの熱意という言葉もありましたけれども、市長さん自身も含めてといいますか、何かスピード感を生むような動きという、具体的にどんなことをしたかみたいなことは、振り返ってみていかがでしょうか。
市長 やはり昭和54年度の発掘調査の成果もしっかりとまとまっていたこと、それと同時に令和5年度の発掘調査の成果についても速やかにまとめたこと、意見具申に当たっては発掘調査の成果がまず求められますので、これをしっかりと整えられたこと、短時間に整えられたことがここにつながっていると思います。担当者の見解は、それはハッパかけられたからだというふうになるかもしれません。
産経新聞 今後のことで、もうちょっと何か書きたいというものがあるので、全国的に有名な坂本城を、全国から観光客を誘致していくことへの今後10年、20年、30年後に伝えたいみたいなこととかはありませんか。
市長 皆さんが先走るのは非常に分かるんですけれども、まずは国史跡指定も秋頃に正式に決定するということでありますし、とはいえ個人的に思い描くのは、やはり2026年安土城築城450年、そしてまた今回の坂本城跡の国史跡指定にとって、ある意味、当時の織豊時代の琵琶湖の城郭ネットワークがそれぞれ今、取組がなされているということでありますので、これは本市のみならず、やはり滋賀県としても全体が盛り上がっていけばいいなと考えております。
更新日:2025年07月24日